「萌」の字の使用は、日本の漫画・アニメ文化における故意の誤用を発端としているとされる。使用されるのは、二次元愛好者が「極めて好きな対象」や「ある対象に対する極度の好感」を形容する際である。中国語の文脈においては「かわいい」や「好き」の同義語として使われている。その適用範囲は漫画・アニメの分野を大きく超え、若者の日常用語として広がっている。だが「かわいい」ではなく「萌え」という言葉である対象への自らの好みを描写する際、一種の強烈な主観的なイメージが伝わることとなり、その含意は、「対象がかわいい」という単純な現実描写を超えるものとなる。つまり「萌え」と「萌え文化」の中国における流行には、文化的・政治的な意味が含まれるのである。
“萌”这个字的使用起源于日本漫画·动画文化中故意的误用。使用时机是二次元爱好者在形容“极度喜欢的对象”或“对于某一对象很有好感”的时候。按中文语法来说,是作为“可爱”“喜欢”的同义词来使用。其适用范围大大超过了漫画·动漫的范围,已经成为年轻人的日常用语广泛使用。但是,并不等同“可爱”,“萌”这个词用在表达对对方十分喜爱的时候,有一种强烈的主观意识在里面,它的含义已经超过了“对方很可爱”这种单纯的现实描写。也就是说,“萌”和“萌文化”在中国流行是有文化、政治的因素。
「萌え文化」は漫画・アニメの世界を発端としたものである。そのためアニメや漫画・アニメの色彩のある映画などで創作者はしばしば、「萌え要素」を意図的に取り入れ、若い観衆の趣味に迎合しようとする。
“萌文化”发源于漫画·动漫界。因此,创作者在动漫或有漫画·动漫色彩的电影等处经常有意的使用“萌的要素”,这是为了迎合年轻观众的口味。
文化産業が、消費力の旺盛なターゲットの需要に応じて生産すること自体には、良くも悪くもない。市場は確かに、これらの映像作品の制作者に十分なリターンを与えている。しかし若い世代やその上の世代を巻き込んだ「萌える物」や「萌え要素」、「萌え文化」への好みがいかに生まれたかをその根源にまで遡って知るのは容易なことではない。
文化产业根据消费力旺盛群体的需要来进行生产,这本身没有好坏之分。而且,市场确实有给予这些影像作品的制作人足够的好处。但是年轻世代以及上个世代的人对“萌物”、“萌的要素”、“萌文化”的喜爱到底是怎么产生的,究其根源是没那么容易的。
▽「かわいい」「好き」に取って代わる
▽取代“可爱”“喜欢”
「萌え」流行の原因は、「萌え」が、「かわいい」や「好き」という感覚取って代わることに成功したことにある。伝統的な言語秩序を壊し、使用者にある種の能動性、ある種の快感を与えるこの表現は大流行した。「かわいい」や「好き」を判断する場合、公的に認められる客観的な法則が往々にして求められる。だがまったくの私的な表現である「萌え」においては、客観的な道理に適合する必要はなく、踏み固められた道だけを歩く必要はない。つまり人々はそれぞれ異なるものによって「萌え」ていいのであり、ほかの人がまったく興味を示さないものにためらいもなく「萌え」ていいのである。
“萌”流行的原因是因为“萌”成功取代了“可爱”、“喜欢”。它破坏了传统的语言秩序,给予了使用者某种能动性以及快感,因此这种表现十分流行。判断是“可爱”、“喜欢”的场合,所需要的是公认的客观的原则。但是完全是自我表现的“萌”,它没有必要符合客观的道理,也没有必要只走在中规中矩的路上。也就是说,各式各样的人都可以是“萌”,对于其他人没有兴趣的东西也可以毫不犹豫说“萌”。
「萌え」はただの流行語の一つではない。文化的・政治的な意味がそこには含まれている。この言葉が10年経ってもまだ流行しているのは、そこに原因がある。
“萌”并不仅仅是流行语之一这么简单。文化、政治的意味也包含在里面。这个词经过了10年还在流行就是有以上的因素。
▽「萌え」が誘う「無性」の世界
▽“萌”吸引了“无性”的世界
当然、「萌え文化」にはもう一つの際立った特徴がある。「無性」ということである。「萌え」る対象を性別のないものとして受け入れることが許されるなら、流行文化において常に規定され押さえつけられてきた両性のあり方を解放する役割を演じ得るものとなる。この解放は、創作者の解放というよりは、観衆の解放である。こうした対象を楽しみ受け入れる観客は、性別の二元構造の枠組を飛び出し、心理的な負担が解き放たれる快感を味わう。
当然,“萌文化”中还有一个十分显著的特征。那就是“无性”。“萌”的对象如果是没有性别的限制,在流行文化中常规定下的两性的存在方式就可以有所解放。这种解放,说是创作者的解放,还不如说是观众的解放。观众能够轻易接受这种对象的话,他们就可以跳出性别之分的二次元构造框框,也可以体会到心理负担解脱的快感。
▽対象「ペット化」による矛盾からの逃避
▽对象“宠物化”引起的逃避矛盾
「萌え文化」は、流行文化にとって意義のある新ジャンルと考えることはできる。硬直した文化体系に一種の新鮮な選択肢を与え、消費者にもより強くより多元的な力を与えるものではある。しかしある意味では、「萌え文化」は、対象の「ペット化」によって現実の矛盾を逃れ、芸術創作における批判性という価値に背を向けるものとも言える。
“萌文化”能够被认为是在流行文化中具有意义的一个新领域。给予死板文化体系的一种新选项,也给予消费者更强有力更多元化的力量。但是在某种意义上来说,“萌文化”中对象被“宠物化”,引起逃离现实矛盾的心理,在艺术创作上也背离了批判性的价值取向。
文化は進歩するものであり、人もまた成長するものである。「萌え」を一般的な文化ジャンルと捉えるより、「萌え」に対する衝動を原初的な情緒への回帰とみなした方が、より意義のある見方をすることができるだろう。
文化在进步,人类在成长。“萌”作为一般文化领域来看的话,还不如认为对于“萌”的冲动是回归到最初的原始情绪,这种观点更有意义吧。
(来源:沪江日语)